傍流の人間

期間工の面接を受けてきた。面接では志望動機もそこそこに持病の有無や手足が動くかの確認と、タトゥーが入っているかなどの質問をされた。

友達曰く「手足がついてれば受かる」とのことだったが本当にそんな感じの面接だった。

受かっていれば今月末にはもう期間工として働くことになっている。とりあえずまとまった金をためることを当面の目標にやっていく。

 

その先のことは全く考えていない。二度の就職を得て少なくとも自分は主流ではなく傍流側の人間であるということが分かった。

バックレてしまうほどに何が嫌だったのか、労働から離れて改めて考えてみた。ほかにもいくつか理由はあるが、自己の内面を差し出さなくてはならないというところが耐えがたい苦痛であり、直接の原因であるという結論に達した。

日々の業務をこなしているだけでいいのなら余裕で耐えることができただろう。(怒られることはほとんどなかったが)仕事でミスをして怒られることも大したストレスにはならない。

毎日の朝礼での理念唱和、感想レポートの提出、元気よく声を張って挨拶しろと言われること、これが何よりも苦痛だった。

精神の一部を会社に隷属させるような行為である。上の行為が直接金を生み、会社に利益をもたらすことなどないのだから、支配関係を形成するか、あるいは内心に刷り込むことが目的なのだろう。そしてそれは組織が組織である以上避けられないものである。

 

それを何となく理解した時、頭の中からバックレる以外の選択肢が消えてしまった。

 

自分は組織に対して帰属意識というものが持てない。自分が所属する組織が潰れようが上場して一流企業になろうがどうでもいいし、国あるいは人類に対しても似たような思想を持っている。それが傍流たる所以であり、真っ当な人間との大きな違いだ。

 

組織に属することができない人間はどうなるのか。

最終的には西成や山谷の日雇い労働者になるのかもしれない。精神的な自由を確保できるのならばそれでもいいだろう。