万策尽きたので死ぬことにした。

考えを整理するためにも文章に残しておく。

この記事は予約投稿にしてあり、生きてて取り下げることがなければ死んだ後に投稿されるはずだ。

 

希死念慮自体はかなり前から持っていた。

高3の時に一回と、誰にもバレていないが少し前にも未遂をしているので今回が三回目になる。

十数年持っていた慢性的な虚無感は徐々に肥大化し、これを消すために出来そうなことは何でもやったがついに消えることはなかった。

それどころか自分のストレスの限界を100とすると最初は30ほどだった虚無感が、ここ数年で80〜90くらいになってきている。

それに伴い僅かなストレスでも耐えられないようになってしまった。改善の見込みもない。幸福の方は何をしても一定以上にならないのに対して、苦痛は気が遠くなるほど青天井だ。

本来なら五年以上前に死ねていたはずの所をここまでやったのだからそろそろいいんじゃないか。やれるだけのことはやった。もう気力も残ってない。

今回は確実性の高い定型の首吊りを実行する。やる場所は人通りが少なく、十分な高さもあるので勇気さえあればほぼ逝けるだろう。

 

今まで色んな人に迷惑をかけたし最期まで厄介なことになる。本当に申し訳ない。

7/30

 

 

 

7/31 1:00 ロープを結び終え、さっきコンビニで買っておいたタバコを吸っている。覚悟が決まったら行こうと思う。

想像してたよりも月明かりで明るく、いい場所だった。

もう終わると思うとここ数年で一番穏やかな気持ちになった。

 

傍流の人間

期間工の面接を受けてきた。面接では志望動機もそこそこに持病の有無や手足が動くかの確認と、タトゥーが入っているかなどの質問をされた。

友達曰く「手足がついてれば受かる」とのことだったが本当にそんな感じの面接だった。

受かっていれば今月末にはもう期間工として働くことになっている。とりあえずまとまった金をためることを当面の目標にやっていく。

 

その先のことは全く考えていない。二度の就職を得て少なくとも自分は主流ではなく傍流側の人間であるということが分かった。

バックレてしまうほどに何が嫌だったのか、労働から離れて改めて考えてみた。ほかにもいくつか理由はあるが、自己の内面を差し出さなくてはならないというところが耐えがたい苦痛であり、直接の原因であるという結論に達した。

日々の業務をこなしているだけでいいのなら余裕で耐えることができただろう。(怒られることはほとんどなかったが)仕事でミスをして怒られることも大したストレスにはならない。

毎日の朝礼での理念唱和、感想レポートの提出、元気よく声を張って挨拶しろと言われること、これが何よりも苦痛だった。

精神の一部を会社に隷属させるような行為である。上の行為が直接金を生み、会社に利益をもたらすことなどないのだから、支配関係を形成するか、あるいは内心に刷り込むことが目的なのだろう。そしてそれは組織が組織である以上避けられないものである。

 

それを何となく理解した時、頭の中からバックレる以外の選択肢が消えてしまった。

 

自分は組織に対して帰属意識というものが持てない。自分が所属する組織が潰れようが上場して一流企業になろうがどうでもいいし、国あるいは人類に対しても似たような思想を持っている。それが傍流たる所以であり、真っ当な人間との大きな違いだ。

 

組織に属することができない人間はどうなるのか。

最終的には西成や山谷の日雇い労働者になるのかもしれない。精神的な自由を確保できるのならばそれでもいいだろう。

 

無職(一か月ぶり二回目)

また仕事を辞めて無職になった。会社に大きな問題があったというわけではないが、組織に適応するということが壊滅的なストレスをもたらして何もできなくなってしまった。この三か月で二回仕事をバックレている。ゴールドバックラーへの栄光は近い。

朱に染まるということがとにかく苦手なので今後正規雇用で働くのはだいぶ厳しいかもしれない。

 

意気揚々と上司に仕事を辞める旨を伝えると面談の最後に今の家から追い出されるということを告げられた。会社経由で賃貸契約を結んでいるので退職すると同時に退去しなくてはならないらしい。無一文の家なし無職が爆誕した。これからは治験と日雇いで食っていくつもりだったので関東圏の住所を失うのは相当に痛い。

 

結局地元の友達と相談して期間工として働くことにした。肉体労働なので身体的にはきついだろうが当面暮らしていくには十分すぎる金と住む場所が手に入るし、他人との関わりは最小限に抑えられそうなので恐らく今はこれがベストだと思う。

 

物を保持しておく手段も金もないので家具の処分を業者に頼んだら七万円くらいぼられそうになった。残念ながら貯金が皆無なのでおれは騙されることすらできなかった。

労働

苦痛を乗り越えると人は成長できるというが、その先にもまた別の苦痛が待っている。それは死ぬまで続く。そもそも自分は何も得られなくとも苦痛を完全な0にしたいと思っているので成長とかは割とどうでもいい。とにかく苦痛を避けたい。

 

新しい仕事が始まってから三週間目に突入した。

新人にできることなど何もないので現時点で仕事自体は極めてぬるいし上司は優しいのだが精神が全力で赤信号を出している。

自己問答を繰り返しても特にやりたいことなど見つからないのでとりあえず適当な正規雇用で労働することに決めたのに働くことに対してものすごい拒否反応が出る。どうすればいいのか。

大学時代のアルバイトはここまで嫌ではなかったのでやはりフルタイムで働くのが嫌なのだろうか?労働に耐えうる目標を持ち合わせていないのも原因な気がする。

最近は欲が薄くなってきているので大金をモチベーションに働くことができないし、人類愛が備わっていないので人の役に立つとか社会貢献を原動力にするのも論外だ。

昨日は会社の帰り道にウーバーと治験で食っていく道を検討していたら丁度真横を何語かわからない奇声を発しながらウーバーの配達員が走り抜けていった。

どんな形であれ労働はつらい。

 

黒星、近況報告

就活もひと段落ついて高校時代の友達と久しぶりに近況報告をした。向こうは新しい職場でうまくやっているようだ。

自分はというと窮地は脱したものの慢性的な問題は何も解決していない。マジで働きたくないな。

今の状況は一から十まで自分が招いたものだ。環境も申し分なかったし、友人や周りの人間にも恵まれているほうだったと思う。それでもいい結果は得られなかったのだ。

自分なりに頑張ったというのは言い訳にはならない。他の人間は当然もっと頑張っているのだ。質も、量もきっと怠け者の自分とは比べ物にならないのだろう。そんな俺より遥かに優秀な人間でさえ時の運で負けるときは負けるし、成功を積み上げてもいとも簡単に底に落とされることもある。

物語ならここで終わるところだが、失敗した後も残念ながら人生は続く。次の手を考えてもう一度やっていかなければならないが、こうも黒星が続くと気力もだんだん失せていく。

 

まだやれるだろうか。おれにやっていく以外の選択肢はないのだが。

有職、無職

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昼過ぎに起きて惰眠をむさぼっていると緊急事態宣言の影響で元バイト先の飲み会を中止にするとの連絡があった。今の部屋にはテレビがないし、外に出るのは真夜中の散歩くらいなのでそんな逼迫した状況になってるとは知らなかった。

 

無職になると社会との接点がほぼなくなる。普通の人が無職を嫌がる理由の一つにこれがあるが、自分にとっては世俗とこれくらいの距離感を保てるのが快適極まりない。

ニートとして生きていくには適性が必要だという。主に金が無くても日常を楽しむ力や、世間一般の価値観から外れて生きることに対して何とも思わない精神力がこれに当たる。

自分としてはどちらもいい線行ってたと思うのだが、結果としては二か月も経たないうちに脱落することになってしまった。貴殿の今後の活躍をお祈りします。いくら安く生活ができても確実に金は減るので適性があるだけではうまくはいかない。

 

安い飯がうまい、八時間眠れる、金のかからない娯楽がある、人生はこれだけで充分だ。あとの労働や金にまつわるあれこれは全部文明が生み出した余計な価値に過ぎない。不満足なソクラテスより満足した豚であるべきだ。

おれはこの世に多くを望まないし、期待もしていないので最低限何もしないでも生きられることくらいは担保していただきたい。そもそもおれが始めたことじゃないしな。

 

港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ

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23年住んだ愛知を離れて横浜に住むことになった。

親や友達に報告したら遠いところに引っ越すねえと言われた。そうか、横浜は遠いのか。

おれが横浜について知っていることは大まかな位置と、龍が如く7に出てきたことと、名古屋と同じく住んでる人間が神奈川ではなく横浜出身を名乗ることくらいである。

あとは東京の経済圏なので名古屋に比べれば色々退屈しなさそうではある。名古屋にはたいてい何でもあるが、斧投げBARなんてものは存在しないし、ボルタンスキー展もやらない。文化がないから。

名古屋は好きか嫌いかで言われれば好きなほうだった。人は多すぎず少なすぎず。何かで不便を強いられた覚えもない。ただ一生ここで過ごすというのはあまりにも面白くないし、なんとなくいい方向には進まなそうな気がした。自分は停滞や現状維持を何より嫌がる。新しいことを始めて事態が好転したことなど数えるほどしかないというのに。

何十年か向こうで過ごせば故郷は変わり果てて知らない土地と何ら変わりないものになっているだろう。六畳一間で思い出す想像上の名古屋だけが俺の本当の故郷として残るのだ。

横浜に住んだらせっかくだから釣りでも始めよう。海近いし。